<アトリエはなぜ形がテーマなのか>“童具共育”
先日、子ども達からも保護者様からもアトリエってどうして形がテーマなんですか?という質問があり、私もこの機会にあらためて和久共育について整理してみようと思いました。

<フレーベルの教育理論と和久共育①>“永劫の理法”
アトリエで行うことや童具にフレーベルの教育理論が根底にあることは、アトリエ通信でもよくお伝えしてきました。幼稚園の創始者であり教育としての積木をはじめてつくった人でもあるフレーベルは、万物の中には永久不滅の法則が存在し、その法則は私達を取りまく世界(外界)にも、私達の精神(内界)にも、そして、外界と内界を結びつける生命(体)にも宿っているとしました(永劫の理法)。この法則の創始者をキリスト教徒であるフレーベルは神としていますが、和久先生の著書では、宗教を持たない人を念頭にいれて、その箇所は“関係性の原理”と書かれています。

<フレーベルの教育理論と和久共育②>“部分的全体”
万物のあらゆる現象には全てつながりがあり、規則的な秩序のもとに調和していることに気づいたフレーベルは、部分的全体の思想によりこの宇宙の原理を「形」を通して表しました。全ての存在は、ひとつの全体であり、部分は全体と一致している存在であることを表現する用語として部分的全体という言葉を用いています。全体の部分ではあるけれどそれ自体がひとつの自己完結された一つの全体(部分的全体)である、つまり例を挙げれば人間の遺伝子にその人間の全てが内包されているように、部分の中にも全体が存在するということです。その全体(この宇宙の関係性の原理)を表すために、部分としてフレーベルは形を選びました。人間が物事を認識していくときの情報は五感によって得られます。人間は五感を通して物事の本質を直観します。五感を通して関わることができるのは、形をおいて他にありません。

<フレーベルの教育理論と和久共育③>“球”
生まれたばかりの生命にまず最初に与える形としてフレーベルは球を選びました。球が最も単純な形だからです。単純な形というのは単純な秩序を持つ形です。球の秩序は中心点から表面までの半径が一定であるというだけで言いえてしまします。
フレーベル事典の球体法則の球について書かれている箇所をその言葉通りに書くと「球は統一性おける多様の表現であり、多様性における統一性の表現であること、また、球は統一性から自己展開しつつ、統一性に根拠を有する多様性の表現であり、すべての多様性の統一再帰の表現である。」だそうです(難解)。つまり例えば一人の人間にも多様な行動、多様な成長があることと同じで、一人の人間が統一を意味し、その行動が多様性を意味することになります。そして動と静を合わせもち、秩序<必然>を内在させ(点による究極のバランス)<調和>を示し、点線面を内在させているうえで多様に変化する存在として、球は万物の統一体であるということです。単純な秩序を持つ球は単純であるからこそ多様な表現が出来、創造活動やスポーツやゲームなど人間に最も親しまれています。子ども達は球と遊ぶことでこの単純な形にこれだけの多様性があることを知り、一人の人間にも同じように多様な可能性があることを感じ取っていきます。

<フレーベルの教育理論と和久共育④>“わくわく創造アトリエー遊びの創造共育法”
球はその全てが点であり面であり線でもあります。見えないけれどもそれはあるんです。その真理を和久先生は遊びの創造共育法により子ども達に直観させました。アトリエに通っている子達なら誰でも体験してきているボールの描写。ボールに絵具を付けて転がすと線が見えます。弾ませると点が、押し付けると面が現れてきます。球から現れた面である円。円で構成された円弧モザイクをかさねていくと円柱ができます。円柱の積木を積んだり、転がして遊んだり、円柱を分割して現れた正方形に着色して造形物を作ったりすることで円柱と四角形の関係性が見えてきます。そして四角形をかさねていくと立方体になり、六面でできた立方体積木をサーク状に積めば円筒がつくれます。わくわく創造アトリエでは、形をテーマとした様々な表現活動により、形に内在する秩序やつながりに子ども達が気づくことで、この宇宙にある関係性の原理を感じとり、創造する力を自ら開発してゆけるようにカリキュラムが組まれています。

<フレーベルの教育理論と和久共育⑤>“恩物”“和久童具”
子どもは自己のうちに発見し、思考したことを外に表さずにはいられません。フレーベルは子ども達の活動衝動や表現衝動、創造衝動を人間の本質ととらえ、これらを純粋に育成していくことが幼児教育の根本としています。幼児は絶えず活動し、創造する存在であり、生活の大半が遊びです。フレーベルはこの遊びの中にこそ人間の本性があり、子どもの遊ぶ姿こそ本質的な姿であるとし、子ども達が遊びを通して外界を理解し、自由な創造活動に誘う遊具として第1から第20までの恩物をつくりました。(11から20までは創作活動)その第一恩物が球、そして第2恩物は球体・円柱体・立方体の3体で構成されています。(和久先生はこれに紡錘体を加えキューブダンシングという童具を作成しています。興味のある方は星野まで。童具子育て講座にご興味のある方は必須の童具です)。球は転がることが出来ますが積むことはできません(動)。立方体は積むことは出来ますが転がることはできません(静止)。円柱は球の転がる要素と立方体の積める要素の両方をもっている両者を媒介する形です。また円柱はその内に球の面の世界と立方体の四角い世界を有しています。

<フレーベルの教育理論と和久共育⑥>“対立的同一”
人間が読み取る世界には、朝と夜、白と黒、生と死などの対立する二元性が必ず存在し、互いの存在が互いを際立たせています。そして対立物には必ずそれらをつなぐ媒介物が存在します。フレーベルは純粋で単純な対立的同一物を子ども達に与えるために、第二恩物において第1恩物の球と対立的な関係である立方体と、この二つの形を媒介するものとして円柱を加えました。
※対立的同一物; 形(カテゴリ)―としては同一だけれども、対極の性質をもつもの
例えば、男と女は、どちらも人間なんだけれど対極にあります。

<フレーベルの教育理論のと和久共育⑦>“童具の宇宙”
全ての形はこの3つに集約され、複合によるものか部分です。そして童具もアトリエカリキュラムもフレーベルの恩物を骨子として展開されていて、フレーベルの思想を知ると和久先生の童具やアトリエ活動をいかに熟考されてつくられたものであるのかがわかると思います。全ての童具がひとつの宇宙を形づくっています。童具の分類は、作品集の末ページに童具の宇宙として縦列が球体・円柱・紡錘体・立方体、横列が立体・面・線・点で整理された一覧が掲載されていますので是非、そのことをふまえてご覧になってください。アトリエ活動や童具の世界に新たな意義を見出して頂けると思います。アトリエ活動は球体からはじまり円柱・四角柱・三角柱(直角二等辺三角柱・正三角柱・)・面・点・線(曲線・直線)・複合の流れがあります。イベント的な要素のある夏アトリエや冬アトリエには形の連続的な流れがないこともあるので、そこがアトリエに通うこととイベントだけ来ることの教育的な違いです。

<フレーベルの教育理論と和久共育⑧>”人間の教育“
フレーベルの子ども達への眼差しは和久先生と同じです。フレーベルは歴史的な教育思想家の中で最も子どもを尊重した人とされています。フレーベルは、著書「人間の教育」の中で、教育は命令的・規定的・干渉的になってはならない、受動的・追随的であるべきだあると言っています。もう200年も前に、その時代の子育てについての批判として「人間は若い動植物には本質に従った飼育栽培を行うのに、自分の子どもについては欲するままにこねあげることのできる蝋や粘土の塊とみなして、子どもの純粋なあるがままの成長を抑圧したり、一面的な成長を強制したりしている」と書いています。200年前にも現代と同じ教育問題が存在していることに驚きます。フレーベルは幼児の遊びは内面の創造欲求を自由に自発的に表現したものとして、恩物で遊ぶ時も遊び方の強要はしてはいけない、また大人の価値観による不自然な学習を強要せず、刺激を与えすぎないことを強調しています。フレーベルの合言葉として有名な「さあ、子どもたちに生きようではないか」という言葉は和久共育・童具共育・創造共育の子どもも大人も指導者も共に学んでいこう、子どもに学ぼうとする精神の叫びでもあります。

<まとめ>
この文章でなぜ形がテーマであるのか、伝わっていますでしょうか?和久先生の著書、フレーベル事典、フレーベルに関する論文等の言葉を借りながら、私なりの解釈を加えてありますので、おそらく表現の仕方が間違っていることや言葉がたりないこともあるということをご了承のうえ、お読みくださればと思います。(勉強しなおしてまたお伝えしますね。)

参考文献 「親と子の共育」 「遊びの創造共育法」 和久洋三著 「人間の教育」 岩波新書 「ペスタロッチー・フレーベル事典」 玉川大学出版部 「フレーベル教育学への旅」 庄司雅子著 日本記録映画研究所 庄司泰弘 日本ペスタロッチー・フレーベル学会論文