まだまだ暑さが続きますが、子ども達の夏が終わってしまいましたね。先週の絵画では、この夏で体も心も大きくなり、逞しく成長した子ども達の姿を感じました。ですが、コロナの影響は子ども達の精神面にも少なくない影響を与えていると聞きます。お子さんのお話しをしっかり聞いてあげて、子ども達の心が解放されるような体験をさせてあげたいですね。

この夏、絵画で自分と向き合う子ども達を見ていて気付いたことがあります。アトリエの絵の具は水をきって塗りますから、一筆で少ない面積しか塗れません。ですから、幼子にとってはあの画面をうめるだけで大変なのです。子どもは大人のように時間配分や力配分はしませんから、はじめから全力ダッシュなので、最後は、痛くなった片腕をもう一方の手で支えて塗っている姿を見ることも少なくありません。


私達アトリエ講師にとっては、当たり前のように見てきた光景なのですが、あらためて思うと幼児がそこまでがんばって描き上げるというのは、当たり前のことではないですよね。園の作品とかを見ていてもいまだに同じ絵が並んでいます。
おそらくそこに子ども達の創造の世界はなく、言われたことを言われた通りに描いているだけです。それはおもしろくはないけれど、それになれてしまうと、いずれそちらの方が実は楽ということに子ども達も気づきます。子ども達には、これほどの意欲と創造力と集中力があるのに、それを奪ってしまうのは本当にもったいないことですね。前回の絵画で、キジを選んだH君は、いつもは涼しい顔でさらっとすごいものをつくるのですが、キジを細かく塗り込んだ後の背景の着色は、さすがに大変だったようで、途中からはもう泣きそうな顔をしていました。それでも最後までがんばるんですよね。「途中でやめたくない」と言っていました。

この「途中でやめたくない」「適当にしたくない」は、アトリエの子ども達からよく出てくる言葉です。これはこれから物事に向かう姿勢として、とても大事なことですよね。途中でやめなかったから、適当にせず、全力をかけたからこそ見える世界がある。子ども達は創造活動を通して、最後までやり遂げた時と途中で手を抜いた時とは、見えてくる世界が全く違うことを知っていくのだと思いました。

集中して最後までやり遂げた時の子ども達は、他人の評価など気にしません。やり遂げた自分の姿こそに誇りが持てるからです。表情が違います。そんな体験の繰り返しが、幼い時にあるかないかでは、物事にむかっていく姿勢が大きく違ってくるのは当然のことかもしれません。アトリエの子達がアトリエに通っているからこそ身に着けられる力のひとつであると思いました。これは、嫌々ながらやらされていることでは身につきません。嫌なことははじめから速く終わらそうとするからです。自らその世界に向かっていくということが大切ですね。


また、もうひとつ気づいたのは全体を見る目です。アトリエの子は小さい時から背景を塗ることが当たり前になっています。背景で絵が変わることも知っています。ですからモチーフを描いて終わりではなく、背景にも同じ労力をかけています。物事はメインだけで成立しているわけではなくて、それを支えているものがあること、そしてそれも全てつながっていること、つまり部分と全体と関係性をつかみとる力が自然と育っていることを思いました。アトリエの子はやっぱりすごい!ですね。

※今週から個人の判断で待合室ご利用いただけます。

2020年9月①アトリエ講師 星野由香